感情嗚咽

ブクブク…コポコポ…と、自らの周りに浮かぶ泡の音を楽しむのも飽きるぐらい、どのくらいの時が経ったのだろう。

「寂しい……」

孵化した途端に、いきなり「シブヤで待っていなさい」と一匹のメガニューラに言われて、周囲に転がっている瓦礫をいじろうとすれば同じ個体に「なるべく此処を離れないで」と諫められ、仕方なく生まれた場所から一歩も動けないでいる。

―――メガニューラ……。

「会いたい。」

そのか細い呟きは青黒い背景と同化しそうなほど小さな泡となり、煌めく水面に浮かんでいった。

 

その一方、メガヌロンと離れたメガニューラの一群は太平洋に浮かぶ奇岩島近海を、一匹たりとも列を乱すことなく一直線に飛んでいた。
しかし、その中には元気にまっすぐ飛翔している者もいれば、逆に羽を動かすのも必死な者も混じっている。
それもその筈、彼等は先程ゴジラからボスに捧げる為のエネルギーを命がけで吸収してきたからだった。元々は1000匹いたメガニューラも、今は火炎で焼かれたり、人間の開発した超兵器・ディメンションタイドによって約半分までに減らされていた。

「ほら、皆頑張れ!」

先刻渋谷にて、唯一ボスのメガヌロンに話し掛けた一匹のメガニューラが、自らの疲労を見せる事なく同族の大群に向かって声をかける。
その羽はゴジラの熱線に掠ったせいで、端に半月状の焦げ跡が付いていた。

すると、

「リーダー…もうダメです……」

自らの背後で聞こえたか細い声とともに、一際大きな水音が上がった。

「!」

後ろを振り向くと、そこには一族の軌跡を辿るかのように力尽きたメガニューラが海面に浮かんでいた。それも、肉眼で確認できる限りでは一匹や二匹ではない。
遠くの方にもまた同じように彼らの死骸が波間を漂い、ある者は荒波に散々弄ばれた挙句、二度と動かぬ体躯を深海へ沈めていた。

「全員先に行け!」

このままでは若様に与えるエネルギーが欠けてしまう。少しでも多い方が良いのに…!
舌打ちを堪えつつ一団に向かって檄を飛ばすと、その落ちた一匹に向かって飛んでいった。

「オイ、大丈夫か!?」

流石に全員を助けるわけには行かず、先程海面へ墜落したメガニューラを揺さぶりつつ声をかける。
「あ……リーダー…自分はもう飛べません…」

顔に生気はなく、手を動かすのもやっとな状態の中、蚊の鳴く様な声で自分に話し掛ける。

できれば此処で楽にしてあげたい。しかし、自分達には重要な使命が残っている。

「何を言っているんだ!たとえ我々一匹でも欠けたら、若様は…メガギラス様は十分に覚醒されないんだぞ!」

リーダー格のメガニューラに圧倒され、今や死にかけていたメガニューラの顔に僅かながら生気が宿る。
けれど、何を思ったのか一度羽の方へ目を見やると小さくかぶりを振った。

「すみません、若様の元へ戻りたいのは山々ですが…羽が濡れたせいで、どうも動かないみたいです」

「仕方がないな…なら、拙者の背中に乗れ」
「何というありがたき幸せ……それでは失礼します」

死にかけの個体をおぶさり、再び若様の待つ渋谷に向かってメガニューラは飛翔した。
その時、彼は後ろを一瞥し、波間を漂っている死骸を見やると心中で強く誓った。

―――途中で散っていった皆の者、お前達の無念は必ず若様のチカラで果たしてみせる…!

 

 

―――渋谷。あれから幾分の時間が過ぎたせいか、今や地上は茜色に染まっており、水の中もまた鈍い赤を湛えた闇色に染まりつつあった。

「メガニューラ……メガニューラぁぁ……」

暗いのは怖い。寂しい。そろそろ周りの瓦礫が怪物に見えてくる。
できる事なら…もう一度顔を合わせたい。

「っ……!」

その場にうずくまり、何も目に映らないように視界を閉じる。それでも、太陽の光が消えたお陰で冷たくなった水温が肌を刺す。
そうしている内に、明らかに周りの水とは違う熱い何かがメガヌロンの複眼を霞めた。

―――これは…涙というものか……?

一族を率いる身が女みたいに泣くなんて、とか、そもそも昆虫が泣くのもおかしな話だ、と強がって自嘲したものの、その引きつった笑いは忽ち鳴咽に変わった。

「くっ……うぅ……メガニューラぁあ…!」

呼んでいるのに、どうして誰も来ない?一人は嫌だ。誰か自分の問い掛けに応えてくれ。このままだと寂しさに押しつぶされてしまう。

―――お願いだから…帰ってきて……!

嗚咽が今にも慟哭に変わりつつある頃、上空で一際大きな水音が響いた。

――敵か!?

今のメガヌロンには護衛が一匹も存在しない為、襲われると自らの血筋は途絶えてしまう。瓦礫に身を隠す、という手段も思いついたが、その影は自分が思っている以上に速く一直線に向かってくる。
せっかく天敵の脅威に苛まれる事なくこの世界に生まれ落ちたのに、こんな冷たくて孤独な場所で滅びるのか?

嫌だ。ひとりでは死にたくない。

「っ…メガニューラぁあ!!」

思わず臆して叫んでしまう。頭を庇いつつその場に伏せた途端、上から声が飛んできた。

「若様ぁ!我々です!」
「長らく待たせてしまって申し訳ありません!」

皆口々に、自らに対して思い思いの言葉を口にして、その表情は晴れやかだ。
全員、命を賭してゴジラからエネルギーを吸い取ってきたのだ。自分からしてやれる事は、せめて元気いっぱいの笑顔で出迎えてやるくらいだ。

「皆、ご苦労だった!」

先ほどの涙を拭い、自らもまた手を振りつつ満面の笑みで皆を出迎える。
けれど、そんなメガヌロンを傍目にメガニューラ達は各々彼の周囲に降り立つと、おもむろに胸に手を当てられた。

「っなに…?」
「さ、若様。変な気持ちになるかもしれませんが、どうかじっとしていてください」

突如メガニューラの手が熱を帯びる。その奇妙な感覚に耐え切れず、メガヌロンの体が僅かにぴくりと跳ねた。

「ぁう……!」

一体何のエネルギーを吸ってきたのだろう。物凄く熱い。
メガニューラの掌から来る鼓動が自らの体を叩き、それに合わさって骨の髄まで熱が染みてくる。その奇妙な感覚に耐え切れず、メガヌロンはしきりに切ない声を上げていた。

「んぅ……あぁ…!」

この感覚は、力は漲るけれど不愉快だ。これなら先程まで孤独に苛まれた方が幾分かマシな気がする。
なのに逃げられない。周りをメガニューラ達が取り囲んでいて一歩を踏み出せそうにないからだ。

「っあ………?」

ふと、例の感覚が病んで後ろを振り返ると、先程のメガニューラが干からびたミイラのような姿で息絶えて水面に浮かびつつある光景が視界に入った。
出処の不明なエネルギーだけでなく、自らの生命力を全て託した為に、寿命が尽きたのだ。

「次は拙者の番ですな」

次のメガニューラがメガヌロンの胸だけではなく、背中にも触れる。それも二体同時だ。

「ま、待っ……んぅ…っ!」
「全ては我らの天下を取る為です。どうかご我慢を…」

心臓と脊髄に熱い感覚が走り、思わずメガヌロンの体が奇妙な形に仰け反る。

 

――――…メガニューラ……。

エネルギーを供給されている間に、メガヌロンの背中からはトンボとは違う異形の巨大な羽が生え、体躯もまた次第に大きくなってゆく。そんな自然の摂理に反した異常な成長と共に、数々のメガニューラ達は水面に浮かんでいった。
けれどその反面、メガヌロンの体に未だ残る奇妙な切なさは留まる所を知らなかった。

しばらくして、残すメガニューラはほぼ干からびた姿で全滅しており、今や自分を残すのみとなっていた。
まだ足りない。地上へ進出するにはもう少しだけ力が欲しい。

そこへ、再び鋭い水音が上がった。

「若様…遅くなってすみません」

メガギラスが声のした方に目を向けると、あのメガニューラと、彼におぶさっているもう一匹のメガニューラが視界に入り込んだ。

「メガニューラ!」

生まれ落ちてからずっと会いたかった。側に駆け寄り抱擁したかった。しかしその思いとは裏腹に、突如彼におぶされているメガニューラが活力を取り戻したのか、先ほどの死にかけた風貌をよそに自分に向かって飛んできた。

「若様…先に失礼します」

もう幾度目になるかもわからないメガニューラの手が、今度は胸に当てられる。

「あ……」
「いきますよ…?」

どうやら死期が近かったらしく、今までの仲間達とは違ってエネルギーの量が少なかった。
そして彼は息絶える直前、メガヌロンの目を真っ直ぐに見据えながらこう言い残した。

「必ず…天下を取ってくださいね…?」

体液も残さず軽くなった体躯が、紙切れのように水面に浮かんでゆく。
目の前にいるメガニューラも、また同じような運命を辿るのか?

「若様…拙者で最後です」

やっと想い人が目の前にいるのに、彼はその命を全て自分に捧げようとしている。それだけは拒否したいのに、こんな時になって肝心な言葉が浮かばない。

「あのね…メガニューラ。オレ凄い寂しかったんだ……だから…」
「我ら下賤の者に情けは不要です。いきますよ」

ドクンッ……

「うぁ…っ!」

メガニューラの命を燃やした鼓動が、背中を始めとして身体中に響き渡る。五臓六腑が火そのものになったかの様に熱い。
彼だけは一際エネルギーの量が熱く感じられた。

「どうしました?」
「実はね…今更になってこんな事言うのもなんだけど、」

 

―――このままアンタがいなくなったら……。

 

「このまま…オレと一緒にいて……」

 

最初で最後のワガママ。
とても簡単な言葉を、彼と対面した途端に言えば良かった。なのに、一族の主というプライドから来る壁に阻まれて言えずじまいだった。
何故もっと気の利いた事が告げられなかったのだろう。後悔が頭を過る。

けれど、メガニューラは悲しげに目を伏せると薄く微笑みつつメガヌロンに優しくも残酷な答えを返した。

「いいえ、そういう訳にはいきません。我々メガニューラは若様より寿命が短いのですから、例え生き残ったとしても傍には居られないのです」
「そんな……一秒でも良いからアンタの側にいたいよ…!」

胸と羽に伝わる熱が次第に弱くなってゆく。

「そんなの……嫌だよ…!」

再びの鳴咽が、水の中で高らかに響く。

「若様…どうか泣かないで下さい。これは全部、我らの敵であるゴジラを倒せば済む事なんですから」
「ゴジラ…?」

 

皆がエネルギーを吸った相手がそいつだったのか。

 

「どうかそいつを倒して…若様の理想郷を……」

言葉が終わる前に、メガヌロンの背中からふっと手が離れた。

「あ……行かないで…!」

最後の…メガギラスの思い人が水面に浮かんでゆく。
その表情は干からびていても、まるで自分の役目を果たしきったかのように安らかだった。

水底に残されたのは、未だに鳴咽を漏らし続けるメガギラスただ一匹。

しかし、そんな鳴咽も徐々に静かになってゆく。

 

―――何を泣いているんだ…オレには皆が命がけで吸ってきたエネルギーと、ゴジラを倒すという使命があるじゃないか。

泣き晴らした顔をゆっくりあげてゆく。

 

「待ってろよ…ゴジラ……!」

 

――貴様を倒して、必ずオレだけのユートピアを作ってやる。

 

そしてメガニューラ、アンタとの約束は絶対守るから見ててくれよ?

完全体となった姿に新たなる決意を胸に秘め、メガギラスはゆっくりと羽を振るわせ、真っ先に弱い種族――人間に威しをかける為、水中から体を覗かせた。