祝祭奪還リミットブレイク/II

「キヒヒッ…!」
「つーかまえたァ〜♪」

「ッ―――あ……!!」

みり、と、上質の絹を裂くような音とともに、鮮やかな紋様がジワジワと裂かれる。

「くぁ……ッ!!」

背中に痛みが走る。
だがそれ以上に―――『ゴジラの象徴を汚された』。
その事実が、モスラの心を直撃した。

「ギドラ……っ! お前……!!」

うめき声まじりに、そして反射的に怒りの咆哮を上げるモスラ。
しかしギドラは、まるで虫の鳴き声でも聞いているように余裕で笑った。

「ククッ……いい顔だ」

モスラの憤怒も苦痛も、彼にとってはただの玩具。
その視線には哀れみはなく、あるのは―――

“お前の限界を見たい”という残酷な好奇心だけだった。

「ぐ……っ、おのれッ……!」

ぎりぎりと翼の根元が軋み、裂ける。

(この程度で、折れる訳にはいかない…!)

ギドラの手が、骨ごと軋むほどにモスラの喉を締め付ける度に視界が波打ち、酸素が奪われ、全身の感覚が薄れていく。

「キヒヒ……ほらほら、その翅…もっと綺麗にちぎれるかもなァ?」
「ッ……う、ぐ…!」

翅を裂かれた痛み以上に、胸の奥が灼ける。

(……私の“象徴”じゃない。あれは―――彼の“眼”。彼が見守ってくれる証……好き勝手に汚させるわけには、いかない……!)

ギドラのニ首は勝ち誇り、モスラの抵抗を“死ぬまでの足掻き”と疑っていない。
まさにその慢心が、唯一の隙となった。

―――シャキンッ

ギドラの腕に湾曲したものが引っ掛かかる感触。
モスラの両手が、僅かに震えながらも、鋭い“鎌”へと変質していく。

「はっ…?」

ギドラが初めて、表情に動揺を浮かべた。

(離せ……ッ! その細腕で私を―――止められると思うな!!)

心中の叫びとともに、モスラはその鎌でギドラの腕を真横に薙いだ。

―――バッ

神父服越しでは守りきれなかったのか、布地ごと肉が生々しく裂け、黄金色の血飛沫が宙へ散った。

「う……ッ!?」

腕ごと切断には至らなかったものの、鋭い鎌が容赦なく真一文字に走った痛みは確かにギドラを貫いた。
それと同時にニ首がびくんと跳ね、その表情には――明らかな“予想外の痛み”の色。

「いっ…た……!?」
「な、っんだよ…!?」

ギドラの三首とも、まるで想定外の出来事に言葉が追いつかないと言わんばかりだった。
怒号にすらなりきれない、ほぼ反射的に漏れた“生の驚き”が、その隙を生んだ。
噛みついていた牙の力も、喉を締め上げていた指先の圧も、完全に緩む。

―――その一瞬こそが、唯一残された“運命の穴”。

「はぁっ……!!」

モスラは翅を無理やり羽ばたかせ、裂け目から激痛が生じるのも構わず、右足を構える。

(ここしかない…! 彼のもとに行くためなら……この命、全部燃やしても構わない!!)

「喰らえッ!!」

本来、完全な成虫として安定した状態でしか出せない“毒針”。
だが、モスラの体内では王の象徴を穢された怒りが満ち溢れており、片脚の骨格が音を立てて軋みながら形を変え始めていた。
茶色いアンクレットの巻かれた左脚が細く、鋭く伸び―――膝下ごと硬質な刺突器官へと変異する。

―――ズドッ

刹那―――針と化した爪先がギドラの腹部に深々と突き刺さり、毒が一気に流れ込む。

「ッ……!? これは…毒か? 貴様……!」
「当然です…! あなたに、彼を弄ばせるものですか!!」

ギドラの身体が揺らぎ、毒が血流を巡り始める。

完璧な致死ではなくとも―――“一時的な行動不能”に追い込むには十分だった。

「ぐっ……動きが…っ……!」
「くるしい…ッ……!」

ギドラのニ首が、初めて「モスラの力を侮っていた」ことを悟ったように悶えて揺らぐ。
モスラはその隙を見逃さなかった。裂けた翅の痛みで視界が白く滲むが―――変わらず羽ばたく。
必死に、必死に。

「待て…ッ! 今さら向かったとて、何も変わらんぞ、女王!!」

背後でギドラが吼える。
毒が回り、視界が揺らいでいるはずなのにその声だけはなお“絶対者”の質量を持ち、空を裂くように響いてきた。

「王はもう、“戻れぬところ”まで堕とされている……! 貴様ごときが行けば――奴をさらに苦しめるだけだ!!」

罵倒と嘲笑が、風を切るモスラの背に降り注ぐ。
それは雨粒のように冷たく、雷鳴のように聴覚を劈き、彼女の心を何度も引き裂こうとした。

(そうかもしれない……)

モスラの拳が震える。爪が手袋に食い込みそうなほどに。

(……だとしても、私が行かなきゃ……!あの人を、もう二度とひとりにしないために――)

振り返らない。
背後でギドラの巨体が、毒に侵されながら海へと傾いていく。
呪詛とも悔しさともつかぬ声を上げる代わりに――ニ首の喉奥が、再び稲妻のような光で満ちた。

「まだ、っ終わらんぞ……虫螻モスラァァッ!!」

次の瞬間、ギドラの激昂に満ちた咆哮をバックに、ニ首からのみならず翼の関節部までもが一斉に閃光を放つ。
雷雲ごと引き裂くような引力光線―――しかし、すでに毒が心臓の周囲まで回り込んでおり、その照準はあまりにも粗かった。
放たれた光線は、モスラの翅を掠めながら大きく逸れるとそのまま荒れ狂う海面へと突っ込み、轟音とともに巨大な水柱を何本も吹き上げるだけだった。

「ち……ッ……!」

ギドラ自身、外したことが信じられないと言わんばかりに、ニ首ともども目を見開く。

一方で―――モスラは振り返らなかった。
落ちる気配に一瞥すらくれず、背中を走る焼け付くような傷に耐え、翼の裂け目から血の霧を散らしながら、それでもモスラは飛ぶ。

(待っていて……何があっても、今度は必ずあなたを助ける……!)

行く先はただひとつ。古びた教会のある小島。ゴジラが囚われている場所へ。
痛む翅を押し広げ、嵐の空を切り裂いて――モスラは愛する者を取り戻すための飛翔を続けた。

 

 

 

永遠と思われた嵐を切り抜け、一面の星空が照らす宙を渡る。
下に見える海は穏やかで、白波のひとつさえ見当たらない。その水面を月光が照らし、星屑との境界線を曖昧にしていた。

「う……ッ!」

そんな中、モスラは痛みを堪えながら島へと降下する。
雨に濡れた寒さも相まって、ギドラにつけられた傷がじくじくと疼く。しかしそれは同時に、彼のもとへ向かうための“道標”でもあった。というのも、着地した場所は薄れた彼の気配を最も強く感じる場所だったからだ。

薄れた気配を辿りながら、モスラはふらつく脚を前へ運ぶ。
島の空気は静まり返り、波の音さえ聞こえなかった。

(この気配……やっぱり、あの小屋の方……)

生い茂った木々の隙間に、古い教会が見えた。
胸がひときわ強く高鳴る。恐怖でも、絶望でもない。

ただ――彼が、そこにいるという予感。

「ゴジラ……!」

名を呼ぼうとした瞬間。
――重い《金属音》が、静寂を裂いた。

ガキン……ッ。

明らかに生物が出す音ではない。
それは“何か”がわざと足音を響かせて近づいてくるような、鈍く、冷たい音だった。

(……!)

モスラは反射的に翅を広げかけたが、すぐに痛みが走り、薄く羽ばたいただけで崩れ落ちそうになる。
その間にも木々の影から、そいつは姿を現した。
月光を反射する、無機質な銀髪。闇の中でも目立つ赤い双眸が、ぎらぎらとモスラを舐めるように光る。

「……兄ちゃんの恋敵サマがご到着、ってわけね」

ゴジラを模した機械の獣―――メカゴジラだった。

その顔には嘲笑しかない。
怪我を負い、翅を裂かれたモスラを見て、惜しげもなく嗤いの声を漏らす。

「ふぅん……思ったよりボロボロじゃん。よく来れたね? それとも、愛の力ってやつ?」

挑発的な声が夜の空気を濁すものの、モスラは歯を食いしばり、その視線を真っすぐにメカゴジラへ向けた。

「どきなさい!そこを通して…!私はゴジラのもとへ行かなくちゃいけないの!」
「へ〜ぇ…?」

メカゴジラの眼光が愉悦に細められる。

「アンタを生かしとく理由、あると思う?」

その瞬間――メカゴジラの脚部が、地面を砕いた。
次の動きは明らかだった。
モスラを、この場で”排除”する気だ。

「……ッ!」

モスラは身構えるが、痛みで立っているのも危うい。
そんな中、一方のメカゴジラは、相手の様子を見てあざけるように短く嗤い――言った。

「―――ここで死ね」